今年に入ってから『どうしてどうやって写真家になったのか、なぜこのカメラを使うのか』ということの取材を受ける機会があり。
そんなきっかけで時々に振り返ってみてる『カメラと写真とワタシ』について、ちょこちょこ想い出したことを書いてみようかな、と。
きっとこれは、誰かに伝えるためのブログと云うよりは『少し先の自分の為』に、なのかもしれないけど。
はじめて書いた『将来の夢』
いつ私は「カメラマンになりたい!」と思ったのだろう?
正直言うと子供時代にカメラマンになりたいと熱烈に目指した記憶はまるで無い。
『スポーツ選手』『ケンブリッジに入って言葉の研究』『ヨーロッパを自転車で旅しながら色んな人に出会う人』そんなこと思った記憶は有る気がするけれど、カメラマンの記憶は無い。
なんでカメラマンやってるのかなぁ?
子供の頃から、どこか会社組織に属して働く人、みたいなことは自分に思ったことが無くって。それは「なりたくない!」ではなくて「想像したことも無いよ!」と云う感じ。
ちなみに父親はサラリーマン、母はパートしつつの主婦、兄姉も居るあんまり裕福ではない普通の家の育ちです。
ただ変な話、私は大人になったワタシの姿って知ってたんですよね。
それは具体的に職業が何になってるか、とか誰と結婚してる、とかではないけれど「一人で好きなことして働いてる、こんな生き方してる大人になった私」って姿を、子供の頃からまるで見ていたかのように『知っていた』んですよ、私。
だから昔は何してても将来を心配に思ったことが無かった。不思議ですね。
とはいえ。
なんにも考えず選ばずに『カメラマン』と云う特殊な職業の道には入らないわけで。
確かに昔から割と良く写真は撮る人でした。高校まではコンパクトカメラ、大学からは一眼レフカメラ。
それは私の母がよく写真を撮る人で、子供の頃からMINOLTAのSR-Tという一眼レフカメラで子供達の日常を撮ってくれてたからかなぁ、と。
母は戦中生まれ、アートが好きで頭も優秀だった様だけど、時代的にも家庭的にも大学など行けなかった世代。結婚してパート仕事をしながら主婦しつつも、暇な時間は私達をクロッキーしたり油絵を描いたり、写真を撮ってはアルバムを綺麗に作ってくれる、そんな母。
なので、カメラと云われて頭に浮かぶのは『お母さんとミノルタ』です。
『カメラ』の原点がお母さん、だとすると『写真』の原点はお兄ちゃん、だろうな。
兄は昔からアートな人で、大学はムサ美に通い、温厚で妹想いな兄は色んなことを教えて分けてくれる人でした。その兄が、大学に入った頃見せてくれたのが「兄の撮った写真のプリントブック」で私がはじめて『特別に意識してみた写真』です。
ContaxのあれはRTSだったかな、にCarlZeissレンズを付けて『カールツァイスは開放で撮るのが本当に綺麗なんだよ』と言ってみせてくれた友人の女の子の京都の写真が本当にステキだった。モノクロプリントは自分で暗室で焼いたんだよ、とも教えてくれた。
『絞り開放』『白黒じゃなくてモノクロプリント』なんかカッコイイ!!
それに影響されたか、私はまんまと大学で写真部に入り、母から譲り受けたミノルタSR−Tで撮影し、自分でフィルム現像からプリントまでをやり始めることになり、暗室に没頭し始めることになる。
私のカメラマンの原点は、つまり、なので、『母と兄』そういうことでしょう、な(^_-)
記憶力に随分秀でていた私は、3歳位からのことをかなりよく記憶している。
そんな中の記憶に私が4歳の誕生日を迎える前に、誕生日カードに書いた『将来の夢』がある。多分人生ではじめて書いた夢じゃないかな。
母がアルバムにそのカードも綺麗に残してくれていたので、よく憶えている。
それは実は『しゃしんやさん』
それはカメラマンではなくて、母が手伝っていた写真プリント屋さんに影響されてたんだろうけど。
ふふふ。ふふふ。
『しゃしんやさん』
ある意味、夢を叶えたんだな、私ってば、さ。
トップの写真は若き日の父と母。
人生の中で色々と失くしてしまったワタシの数少ない両親の写真です。
ここがどこなのか、いくつの時なのかよく分からないけど、初々しい二人の若者は父と母と云うより知らない若者。
1枚の写真に大事に写る時代。
いい写真だなぁ♡
つづく、はず。。